タテヨコ企画第46回公演『フルナルの森の船大工』作・演出:青木柳葉魚
無事終えました。
ご来場の皆様、支えてくださったキャスト・スタッフ、関係者、応援下さった方々、ありがとうございました。
そして劇団員にもあらためて敬意を。
まずこれは勝手に言いますが、いつだったか思い出せないくらい昔、タテヨコの横田が描いた1,2頁の台本、
タテヨコミーティングで読んで「これじゃないね」と秒でボツになったものです。
森の住人が船を作る、それだけの冒頭。
横田の海のものとも山のものともつかない数ページを、20年位経ってから柳葉魚がとある自殺事件(実際にあった)に着想を得て絡めてここまでのストーリーを創出したのは、まず柳葉魚がその設定を救済したことからして凄いと思います。
人の創意ってどこでどう繋がるかわからない可能性を秘めていますね。
セレンディピティというか、元々の予定から新たな発見や創出や行動を生み出せる、それを引き寄せる大切さ。
色々な感想があったとしても、まず、柳葉魚さん、すごい。
森に海に出ることがない船を作り続ける、それはあながち思考出来ないことではありません。
なぜなら漁師の神様は往々にして山に祀ってあるのです。
漁師 植林 でググってみれば色々と漁師が植林している事実が出てきます。
森が豊かになればいい養分が海に流れ出て微生物や豊富なエサが生まれそれを食べに来る魚が集まり豊漁となるのです。
森が養分を蓄えて綺麗な水を循環させ、木の根が大地にはり、地震の多い日本の家屋をつぶさないようにもしているはずです。
木を切り倒して太陽光のパネルの海にしたって山津波に命持っていかれると思います。
劇中、御船神(みふねしん)が国史によって投げ捨てられ首がもげるシーンがありました。
その後私の役は台本通り泣くのですが、あの作品の中で様々な畏怖にも似たものを感じ取ってもらいたいと思ってこっそり取り組みました。
また、ノアの箱舟も個人的には想起いたしました。
ノアの箱舟もアララト山で見つかった?という説もあります。
主人公せりあが死の淵からなぜ踏みとどまれたのか。
飼っていたペットとの死別、母の愛、先輩のような恩師との死別、
生き死にに関わらず愛する存在の先に、この世の種のつがいの生き残りがノアの箱舟に乗って生きながらえて
今もアアラト山で意識の中で船を増築していたら。そんなことも考えました。
現実がどんなに辛くても、いつの時代も生きて子孫を繋いできた祖先の思いを、
私たちは救済したり楽しんだり何を生きて繋いでいくのか、そんなことも考えました。
とにかく、みんな、特に若い人、日本の自殺数は2024年は減ったのに小中高生の自殺率は増えてるなんて
本当に残念なことです。
なんとしてもそういう若い方々にとっての船大工のような存在に会ってほしい、
自殺を思いとどめて欲しい、そんな一心です。
さてさて、演劇的な創作の面白さと
終わってみてどこかに埋まらない何かを感じています。
これは個人的な感想です。
素晴らしい座組でした、これまでの公演で感じた事がないような「一緒にやってる感」
船大工という架空の森の住人たち、彼らの仕事の専門用語も架空ですから、連帯感がより必要なせいか
劇中でやたら微笑み合ったり、乾杯したり、ハイタッチしたり、互いに訝し合ったりなど触れ合いや連携プレイが多い。
そのため、いつも以上に安心感や幸福感が感じられ、稽古場でも意見を言い合ったり、本当に皆さんを信頼し頼れました。
本当に素晴らしい客演さんたちでした。
多幸感なのに、埋まらない何か。
ずっと考えていかなくては
ずっと向かっていかなくては
あらたに思いましたので、みなさま色々交流ください!
ただ、本当に本当に、客演のみなさん、スタッフ、ご来場の方々に深く感謝し、至らなかった点は今後の言動にしていけるよう臨みたいと思います。
カットイン表現の多い中、かつての私では出来なかった発声も取り入れて、その中でニュアンスに挑戦する事も出来たのはよかったなと思います。
見ていてくれたたてちんや皆さんからの刺激で、がんばり続けられました。
劇団員とはこれからまた意見交換させてもらい、精進する行動へ繋げられたらと思います。
ありがとうございました。