2008年04月09日

一の会

第一回 騙り語り〜カタリガタリ〜

■坂口安吾作「桜の森の満開の下」
 弘中くみ子
 熊谷ニーナ

■太宰治作「新樹の言葉」
 坂口候一

演出:矢島正明


2年前タテヨコ企画公演「フラミンゴの夢」で坂口さんに客演していただき
一の会のホームグランドであるONE'S STUDIO(ワンズスタジオ)にて
鑑賞してまいりました

騙り(かたり)というと、もっともらしく話す語源から「だます、詐称する」という意味みたいなんですがなぜこれを起用したのか気になります
騙す(だます)は読めるけど騙り(かたり)は読めなかったくらい馴染みがありませんでした

でも騙り語り(カタリガタリ)というと目にも心に何かしらひっかかります

終演後、演出の矢島先生が「芝居」と「語り」のバランスが上手くいったのではないかというようなことをおっしゃっておられました

正直、「語り」を観るのは何を観ているのかよくわからなくなり、定まらず観辛いし、一人で浮き上がってくる独り芝居みたいなものはあまり興がないと思っていました
なので、客席で目を瞑って聴く方が落ち着き、興味がある時だけ見開いて出演者の表情を見たり
でも表情を見るとなんだか自分のイメージが消えて目からの情報が大きくなり、目を瞑って聴いていた物が何だかわからなくなってしまったりふらふら
あ、ニーナさんストレートパーマかな。とか
つまり、邪念だらけになる自分の貧しさなのですがあせあせ(飛び散る汗)

芝居のように小説そのものを自分の言葉のように引き寄せている部分と
語りの部分

この「語り」の部分がまだよくわかりません
どう観ていいのか、どう観たいのかもよくわかりませんし
考えて観るもんでもないと思いますが
「語りは芝居じゃないからあんまし好きじゃない!」と
言った自分が浅はかなような気がしてきています

何かがあるのかもしれません

確かにアナウンサーなどで心地がよくて個人的に好きな人がいます
当たり前ですが芝居じゃありません

・・・とにかく
緻密な感情表現の起伏、再現、移ろいがやはり見事で、声の響き、声そのものが確かな芸の力強さを持ってうったえてきました

その力に触れ、鍛錬された芸を体現できるのは本当に素晴らしいなと思いました










posted by asa at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 観賞しました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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